スピリチュアル心理学 spiritual-psychology

心理学や自己啓発本、スピリチュアル実践から気づいたことを書く独り言ブログ

子どもと大人、本当に生きやすいのはどっち?

子どもの頃、「早く大人になりたいなー」と思った人、多いんじゃないでしょうか。

その裏にはもしかして(大人になれば勉強しなくて済むとか、好きなものを好きなだけ買える・・)という邪な思いがあるかもしれませんが(笑)

 

まあそれはともかく、大人に憧れるって素敵なことだと思います。

 

そう書いているのに、かくいうジブンは『ずーーーっと子どものままでいたい!』と20歳過ぎまで強く願いながら過ごし、結局あきらめたという幼稚な大人です(苦笑)

 

さて、早く大人になりたいと思って実際大人になってみたら、「あれ?子どものほうが良かった」なんて思ったりするのですから、いやはや不思議なものです。

 

そこで、子どもと大人どっちが満足できる生き方なのかを考察してみようと思います。

 

 

生きやすいのは、子どもも大人も同じ

 ジブンなりの結論言っちゃいますが、

 

どっちも生きやすい(はず)なんです。

 

「はず」と入れたのには理由があるから。それをこれから書いてみますね。

 

子どもは空気を読まない(読めない)

仕事上、小学生と関わっていますが、やはりひとつ言えるのは空気を読まない。

人が話しているのに割り込んだり、取り組んでいる友達の邪魔をしたり。

まあ、それは年齢が低いせいもあるし、そもそもジブンも空気読めない子どもでしたから(笑)仕方ないなって思うんです。

自分のことしか考えてなくて周りを読めてないからだと思います。

 

でもやけに空気が読める子も中にはいます。

自分より他人を優先する姿勢。こちらからすると手伝ってくれたり気遣いができるのでありがたいとは思うのですが・・

 

冷静に考えるとそれっていいのかと思います。

 

健全に成長して、大体高学年あたりになれば空気を察知する能力が育ちますのでいいのですが、低学年で誰かに気を遣うのは子どもらしくないような気がします。

 

おそらくですが、その背景には

 

「かまってもらいたい思い」や「いい子でいないと認められない」

 

という不安や恐怖が隠れているのかもしれません。

 

大人は空気を読みすぎ

 逆に、大人はどうでしょう。

 

すでに思春期で同級生や周りの人との関係性を気にするようになっていますので、それなりに空気は読めます。

 

しかしここでも危機を感じるんです。

 

「空気、読み過ぎじゃないか」と。

 

子どもの頃に培った「空気を察する力」が、大人になってさらにパワーアップ!して働きすぎている人、いると思うんです。(はーい、ジブンでーす)

 

誰かが頼んだわけでも、望んでもいないのに先回りして仕事や家事などをやる。

 

そうしないと怖くて仕方ない。

 

不安がもたらす典型的な行動パターンです。

 

これが続くと、燃え尽き症候群や鬱といった病や無気力、感情の起伏が激しくなるなど自分をコントロール出来なくなりますし、なにより

 

『生きづらい』です。

 

そう考えると、極端なものの捉え方をする思考は人生を辛くさせると思うんですよね・・

 

しんどいですよ。経験してますから言えますが。

 

 

子どもと大人、どっちも生きやすい世の中にしたいもの

これは個人的観点ですが、年々そういった苦しみを持っている人が多くなってるように感じます。

 

子どもは

・無邪気で好奇心旺盛

・周りの様子が見えてないことが多い

 

 

大人は

・責任が伴うので常に注意を払う

・無邪気になることはあまりない

 

 

こうまとめてみても、両極端すぎます。

だから

 

子どもと大人、どちらのいいところを取り込めば生きやすくなる

 

そういうことじゃないかと思います。

 

 

子どものうちから大人による過干渉や暴力等で居場所を失っていたら、人の顔色見てビクビクする性格になるのは当たり前な話です。

 

子どもは子どもらしく過ごしてほしい。

大人にも大人らしさを持って過ごしてほしい。

 

もし成長過程で深い傷を負ったのであれば、その傷や不安、悲しみを癒やして乗り越える。

それ以外にも、こうした環境を生み出す大人に対する心のケアも必要なんじゃないかと考えます。

 

 

世の中には色々な人がいます。

積極性のある人もいれば消極性の人もいる。

攻撃的な人もいれば温厚な人もいる。

 

この「基本」を理解して、自分の心を守れるようにしたいものです。