もう一人の自分が自分を支える相棒になる
私自身の人格を紐解くと、それはまた色々な側面が見えて面白いようで面倒なところがあります。
たとえば私で言うならば、
- 自分の思いを共感できる人に対してテンションが爆発する部分
- 冷静に物事を見極め判断する部分
- 他者に対する感情の読み取りが鋭すぎる部分(いわゆるHSP)
が考えられます。
1は主に趣味関係で、2は仕事やブログを書いているとき、3は対人関係で大きく作用していると分析しています。
このように、人には複数の人格があるのではと思います。
今回は多様性と人格について考えてみました。
多様性は社会だけではない
最近は「多様性」という言葉をよく見るようになりました。
それはこれまでの社会が画一的だったのに対し、個々の思いや考えが重要視されてきていること、どのような変化が起こるか分からない時代が訪れていることを物語っているからだと思います。
色々な性格の人がいるから、多様な社会になるのは当たり前のこと。
そこで思ったのは、社会が多様化しているのですから、もっと人格も多様化していいのではないかということです。
多様な人格が認められる時代へ
先ほども語りましたが、人には複数の人格が存在しています。
そして人は大きく分けて「対他人の自分」と「素の自分」があると思います。
基本的にそれで問題ありませんが、私個人としてはそれではつまらないように感じます。
つまりもっと深い部分、「多様な人格」を出してもいいと思うのです。
色々な面はSNSで練習してみる
ちょうどこの記事を書いていたとき、ネットでこのブログにつながる面白いエッセイを見つけました。
ちなみにみなさんTwitterのアカウントはいくつお持ちですか?
私は5つあります。
メインに仕事、心理学に実況用、そして鍵付きの構想用。
これはごく自然にそうなったのですが、よく考えるとこれって自分の中に潜んでいる人格を公に出して問題ないか、練習しているように思えたのです。
自分の趣味を全部人に認めてもらえるとは思っていない
(かがみよかがみより)
おっしゃる通りで、たとえメイン1アカウントで自分の興味あるものをつぶやいても全員が反応するわけがないんです。
そうなるとつまらなくなるんですよね。うわべっ面でしか発信できなくなって。
奥底にある一面を見せてメンヘラとか面倒な人と思われてしまうと印象も良くないので、むしろ用途に応じて使い分けたほうがそれぞれの方面で理解を示す人ができるため、最終的に承認欲求も満たされ居心地もよくなると思うのです。
自分の中にある様々な人格を外に出すという意味で、Twitterアカウントを複数使うことはあながち運用として間違っていないのかもしれません。
多彩な人格を表現できる人が、これからの時代輝く人
戻りますが、つまり一つの性格や人格で関わるよりも、
その状況や場面に応じて人格を使い分ける方が、自分を縛り付けることなく自由に、そして多様性を持って対峙できるのではないか
と考えるのです。
一人一人の持つ性格や人格は、おそらく一つではないはず。
それなのに、私もそうですが誰かの顔色を伺ったり、万人受けするからと隠したりして一つの方向に収めていないでしょうか。
それこそがあなた自身を押さえ、あなたらしさを失っている行動そのもの。
だからもう解き放っていいんじゃないか、と思うのです。
最近よく耳にする「多様化」というものは、なにも社会にだけ通用するものではなく、個の中にこそ持つべき時代なのかもしれない。
(まいにちdodaより)
仕事だけでなく、環境や対人、さらにはSNSと使い分けることで、様々な場面を華麗に渡り歩けますし、苦手なことがあっても自らを演じさせて克服することもできるでしょう。
そう考えると、一人の中に様々な自分がいることは、とても魅力的ではないかと思うのです。
もう一人、いや二人の自分が、自分を支える相棒になるのです。
社会が多様化する中で、あなたはどうでしょう?
状況に応じて様々な自分を見つけられていますか?
この機会に自分を支える相棒を見つけ、新しい自分を開拓してみましょう。
参考文献
承認欲求の塊のような自分を救った、嫌いな知人からの一言「違う自分を作りなさい」 - まいにちdoda - はたらくヒントをお届け