子どもの頃の友達と、大人の頃の友達関係
私は正直言えば、友達は少ないです。
今思うだけで言うと、一人いるかいないか。
それくらい少ないのです。
ただ、高校専門時代はそれなりに数人いたし、中学までの孤独な日々を考えると、友達のありがたさも感じました。
しかし大人になり、そのときの友達と会うこともなくなりました。
せいぜい年賀状のやりとりくらいしかしていません。
そもそもそれを友達と呼んでいいんだろうか。
時々でも会って話をしたりお茶したりするのが本当の友達じゃないのだろうか。
ずっとそんなことを漠然と考えていました。
果たして友達とはどういう概念でしょうか。
そして子どもの頃と大人になってからの友達のあり方とは?
今回は「友達」について書いてみようと思います。
子どもの頃の友達関係をそのまま大人に当てはめない
まず結論から言うと、
大人になってからは子どもの頃のような深い友達関係を築くことは難しい
のです。
しかし人というのはなぜか子どもの頃の友達関係を、大人になっても求めようとしてしまいます。
ここに一つの課題が生まれるのです。
私はずっとこういう気持ちを持っていました。
自分には友達がいない。
なぜ他の人にはあんなに仲の良い人がいるんだろうか。
私もあのころのように笑いあえる友達がほしい。
正直他の人たちをうらやましく思っていました。
しかしその考え自体が間違いだったと気付きました。
なぜならそこには子どもの頃の友達関係と大人になってからの友達関係に大きな違いがあるからです。
子どもの頃の友達関係
子どもの頃の友達とはどんな感じだったでしょう。
おそらくほとんどの人は朝や帰りは一緒に登校したり、学校で一緒になって遊んだり、時には家に遊びに行ったりする関係だったのではないでしょうか。
つまり、とても長い時間を共有した友達といえるのです。
さらにそれが小学校や中学校など同じ地域であれば、その関係性は非常に深くなると考えられます。
大人の頃の友達関係
それでは大人の頃や、趣味を通じて知り合った友達についてはどうでしょう。
まず大きく違うのは年代や生育環境だと思います。
趣味であれば色々な場面で、仕事の場合であれば職場で知り合うことが考えられます。
そうなるととても多様な人間関係になってくるのです。
したがって、
大人の頃の友達関係というのは子どもの頃に比べると深くなりにくい傾向にある
と考えられるのです。
大人の友達関係とは、同じ時間を共有できれば十分
では、大人になった今、友達のあり方とはどうすればいいのでしょう?
まず
「深い関係でなければ友達でない」という固定概念を捨てる
そして
「同じ時間を共有できていればいい」と思う
です。
そもそも友達とはこうあるべき、という概念に縛られているのでは、友達になろうとしている人と友達になれない可能性すら出てきます。
確かに光り輝いた子どもの頃のように戻りたい気持ちは分かりますが、過ごした密度が浅ければそれは難しいものです。
だからこそ子どもの頃とは違った形ですが、「その人と楽しい時間を共有する」ことができれば、友達関係としては十分なのです。
そう考えると、私の場合趣味で繋がりあえてる人ならそれなりにいますし、週1のヨガで一緒に学び合う人達も今回の理論で考えれば友達と捉えることができます。
大好きなゲームの話や野球の話で盛り上がれたら、それこそ楽しい時間を共有できていると心底思えます。
残念ながら繋がり合う時間は子どもの頃に比べて減ってはいます。
それでも繋がり合う時間自体は決してなくなったりしません。
だから友達とは「常に繋がり合っている関係」じゃなくていい。
そう思えばいいのかもしれませんね。
大人だって、最初は浅い関係だったけれど、そこから人となりに触れることで、密の濃い関係に進展することもあります。
もう一度友達の概念を踏まえた上で、大人だからこその友達関係を築いていきたいものですね。
参考文献