【愛着障害】11.ココロの泉を枯らさないために
今回愛着障害を学んだことで、色々振り返りました。
私自身、親から支配に近い過干渉や、いじめによる人間不信によって不安型と回避型の両方を持つ「恐れ回避型」の愛着障害を持っていることに気づきました。
なぜ私のメンタルは安定しないのだろう。
なぜ私はこんなに周りの人の言動や行動に振り回されるのだろう。
20代から悩み続けたその答えは、愛着障害でした。
それが分かっただけで、心の中に閉じこめ否定してきた闇の部分に向き合おうと思えるようになりました。
私はこれまで、どうしても自分を認めてもらおうと、様々なことに取り組んでいたと思います。
いわゆる不安型がそうさせていたんでしょう。
ありとあらゆる資格を取ったり、通信制大学で学んだり、毎日仕事にフルブーストかけて取り組んだり・・
そのくせ回避型の一面である「人と関わりたくない」「縛られたくない」という心理もあって、褒められても素直になれません。
実は通信制大学で優秀論文をいただいているのですが、あの時の私は正直「私にそんな資格なんてない・・」と負い目の気持ちの方が断然に強く、無理して笑顔を作っていたのです(関わっていたみなさん本当にごめんなさい)。
認められたい、親しくなりたいのに、人と深く関わる事が怖い。
だからいつまでたっても心は満たされない。
たとえ仕事とかで認められても、その感情は底に穴が開いた樽のようにどんどん流れ出し、いつまでも満たされない・・。
求め続けるあまり、自分を限界まで追い詰めた結果、「やっぱり誰も分かってくれない」と自暴自棄になったり自己嫌悪に陥ったりする無限ループ。
ホント、面倒な性格。
つくづく愛着障害は、人として伸び伸びと生きられない、辛く苦しい、憎いものと分かったのです。
🌻
話は変わりますが、私が全推しするハートキャッチプリキュアのミッションは、誰もが心に咲かせている「ココロの花」を守ることでした。
さて、ココロの花がハトプリなら、私は・・
寝ながら一人考えました。
一番大切なのは、自分で自分を認めること。
それを教えてもらいました。
先ほどの樽の話ではありませんが、結局私がいつまでも満たされないのは、満たされない状況を自ら作っていただけだった。
これまで満たされたと思っていたものは、他者から認められたという、他人中心。
ならば今度は私自身が私の心を満たしてあげればいい。つまり自分中心。
そう考えると、外的から注いでもらう樽というより、ココロの内側から懇々と湧き上がる泉のよう・・。
「ココロの泉」という言葉が浮かびました。
私の中にココロの泉があり、その水は決して枯れることはない。
だけど自分を否定したり誰かと比較したりすればすぐ枯れてしまう。
だから枯れないように、枯らさないように、常に自分の行動を全部肯定しよう。
そうすればいつまでもココロの泉は満たされる・・
そんな概念が導き出されました。
🌻
どんな行動も、どんな感情も、決して否定しないでください。
すべて「いいよ」と認めてあげてください。
それが、ココロの泉を永遠に満たす行動であり、愛着障害を乗り越え、自己肯定感を確立させる手段なのです。