スピリチュアル心理学 spiritual-psychology

心理学や自己啓発本、スピリチュアル実践から気づいたことを書く独り言ブログ

あなたの経験や知識を求める人は存在する

毎朝、布団の中でうつらうつらしながら聴いているラジオから、こんなお話が聞こえてきました。

 

『この前ある女優さんの特番をやったとき、とても面白い逸話があったのですが、ほかの番組で話したことなのでここでは触れなくていいか、と思って話さなかったんです。
だけどリスナーさんからあの話をしてほしかったとその後メールがあって、ああ、自分は何度も話しているからと封印するのではなく、面白いと思っているなら何度でも話していいんだと気づいたんです。』

 

かれこれアナウンサー歴30年近くのベテランさんでも、新たな気づきがあるんだ・・

 

そう感じたのです。


自分にとってありきたりな話でも、受け取る人にとってはものすごい有益な情報だったりすることがあります。

 

私も仕事や経験で得た情報は数多ありますが、どうしてもそういった情報って他人に公開するほどのものじゃないと思ってしまうのです。

 

だけどこのお話ではありませんが、意外とそんな話を聴きたいと思う人は結構いるものです。

 

「こんな話、誰も面白いなんて思わないだろう」
「もっと興味深い話の方がいいに決まっている」

 

そんなふうに決めつけていませんか?

 

その話が面白いか、面白くないかは、聞き手が判断することです。

 

発信者が決める事じゃないんです。

 

だからあなた自身の判断で閉じこめてしまうより、とりあえず投げかけてみてはどうでしょう。

 

ちょっとした裏話や体験談は、時にその人の人間性を感じ取ることができます。

 

きれいな上辺な話より、感じたまま、思ったままの荒削りな話の方が楽しかったりするものです。

 

そんなことを伝えたいな、と思いながら今日も駄文を書くのです。

 

私が感じた思いに共感してくれる人がいると信じて・・

 

子どもと大人、本当に生きやすいのはどっち?

子どもの頃、「早く大人になりたいなー」と思った人、多いんじゃないでしょうか。

その裏にはもしかして(大人になれば勉強しなくて済むとか、好きなものを好きなだけ買える・・)という邪な思いがあるかもしれませんが(笑)

 

まあそれはともかく、大人に憧れるって素敵なことだと思います。

 

そう書いているのに、かくいうジブンは『ずーーーっと子どものままでいたい!』と20歳過ぎまで強く願いながら過ごし、結局あきらめたという幼稚な大人です(苦笑)

 

さて、早く大人になりたいと思って実際大人になってみたら、「あれ?子どものほうが良かった」なんて思ったりするのですから、いやはや不思議なものです。

 

そこで、子どもと大人どっちが満足できる生き方なのかを考察してみようと思います。

 

 

生きやすいのは、子どもも大人も同じ

 ジブンなりの結論言っちゃいますが、

 

どっちも生きやすい(はず)なんです。

 

「はず」と入れたのには理由があるから。それをこれから書いてみますね。

 

子どもは空気を読まない(読めない)

仕事上、小学生と関わっていますが、やはりひとつ言えるのは空気を読まない。

人が話しているのに割り込んだり、取り組んでいる友達の邪魔をしたり。

まあ、それは年齢が低いせいもあるし、そもそもジブンも空気読めない子どもでしたから(笑)仕方ないなって思うんです。

自分のことしか考えてなくて周りを読めてないからだと思います。

 

でもやけに空気が読める子も中にはいます。

自分より他人を優先する姿勢。こちらからすると手伝ってくれたり気遣いができるのでありがたいとは思うのですが・・

 

冷静に考えるとそれっていいのかと思います。

 

健全に成長して、大体高学年あたりになれば空気を察知する能力が育ちますのでいいのですが、低学年で誰かに気を遣うのは子どもらしくないような気がします。

 

おそらくですが、その背景には

 

「かまってもらいたい思い」や「いい子でいないと認められない」

 

という不安や恐怖が隠れているのかもしれません。

 

大人は空気を読みすぎ

 逆に、大人はどうでしょう。

 

すでに思春期で同級生や周りの人との関係性を気にするようになっていますので、それなりに空気は読めます。

 

しかしここでも危機を感じるんです。

 

「空気、読み過ぎじゃないか」と。

 

子どもの頃に培った「空気を察する力」が、大人になってさらにパワーアップ!して働きすぎている人、いると思うんです。(はーい、ジブンでーす)

 

誰かが頼んだわけでも、望んでもいないのに先回りして仕事や家事などをやる。

 

そうしないと怖くて仕方ない。

 

不安がもたらす典型的な行動パターンです。

 

これが続くと、燃え尽き症候群や鬱といった病や無気力、感情の起伏が激しくなるなど自分をコントロール出来なくなりますし、なにより

 

『生きづらい』です。

 

そう考えると、極端なものの捉え方をする思考は人生を辛くさせると思うんですよね・・

 

しんどいですよ。経験してますから言えますが。

 

 

子どもと大人、どっちも生きやすい世の中にしたいもの

これは個人的観点ですが、年々そういった苦しみを持っている人が多くなってるように感じます。

 

子どもは

・無邪気で好奇心旺盛

・周りの様子が見えてないことが多い

 

 

大人は

・責任が伴うので常に注意を払う

・無邪気になることはあまりない

 

 

こうまとめてみても、両極端すぎます。

だから

 

子どもと大人、どちらのいいところを取り込めば生きやすくなる

 

そういうことじゃないかと思います。

 

 

子どものうちから大人による過干渉や暴力等で居場所を失っていたら、人の顔色見てビクビクする性格になるのは当たり前な話です。

 

子どもは子どもらしく過ごしてほしい。

大人にも大人らしさを持って過ごしてほしい。

 

もし成長過程で深い傷を負ったのであれば、その傷や不安、悲しみを癒やして乗り越える。

それ以外にも、こうした環境を生み出す大人に対する心のケアも必要なんじゃないかと考えます。

 

 

世の中には色々な人がいます。

積極性のある人もいれば消極性の人もいる。

攻撃的な人もいれば温厚な人もいる。

 

この「基本」を理解して、自分の心を守れるようにしたいものです。

久しぶりに記事を書きました

こんにちは。ご無沙汰しています。

 

ブログを最後に更新したのが1年前くらいだったので、あー、かなり時間を空けてしまったなあと反省しています。

 

今回、一気に記事をアップしましたがこれは過去に書き溜めておいた愛着障害に関する情報です。大変お待たせしました。

 

この1年仕事に追われていたので、ブログの存在すら忘れてしまっていたり・・汗

 

でも心理学については毎日のように記事は貯めていましたし、本も購入していましたので、時間を見つけてまとめていこうと思います。

(新たな気付きもありました。それについても書きますのでお楽しみに)

 

 

【愛着障害】11.ココロの泉を枯らさないために

今回愛着障害を学んだことで、色々振り返りました。

 

私自身、親から支配に近い過干渉や、いじめによる人間不信によって不安型と回避型の両方を持つ「恐れ回避型」の愛着障害を持っていることに気づきました。

 

なぜ私のメンタルは安定しないのだろう。
なぜ私はこんなに周りの人の言動や行動に振り回されるのだろう。

 

20代から悩み続けたその答えは、愛着障害でした。


それが分かっただけで、心の中に閉じこめ否定してきた闇の部分に向き合おうと思えるようになりました。

 

私はこれまで、どうしても自分を認めてもらおうと、様々なことに取り組んでいたと思います。


いわゆる不安型がそうさせていたんでしょう。


ありとあらゆる資格を取ったり、通信制大学で学んだり、毎日仕事にフルブーストかけて取り組んだり・・

 

そのくせ回避型の一面である「人と関わりたくない」「縛られたくない」という心理もあって、褒められても素直になれません。


実は通信制大学で優秀論文をいただいているのですが、あの時の私は正直「私にそんな資格なんてない・・」と負い目の気持ちの方が断然に強く、無理して笑顔を作っていたのです(関わっていたみなさん本当にごめんなさい)。

 

認められたい、親しくなりたいのに、人と深く関わる事が怖い。

 

だからいつまでたっても心は満たされない。

 

たとえ仕事とかで認められても、その感情は底に穴が開いた樽のようにどんどん流れ出し、いつまでも満たされない・・。

 

求め続けるあまり、自分を限界まで追い詰めた結果、「やっぱり誰も分かってくれない」と自暴自棄になったり自己嫌悪に陥ったりする無限ループ。

 

ホント、面倒な性格。

 

つくづく愛着障害は、人として伸び伸びと生きられない、辛く苦しい、憎いものと分かったのです。

 

🌻

話は変わりますが、私が全推しするハートキャッチプリキュアのミッションは、誰もが心に咲かせている「ココロの花」を守ることでした。

 

さて、ココロの花がハトプリなら、私は・・

 

寝ながら一人考えました。

 

一番大切なのは、自分で自分を認めること。

 

それを教えてもらいました。

 

先ほどの樽の話ではありませんが、結局私がいつまでも満たされないのは、満たされない状況を自ら作っていただけだった。

 

これまで満たされたと思っていたものは、他者から認められたという、他人中心。


ならば今度は私自身が私の心を満たしてあげればいい。つまり自分中心。

 

そう考えると、外的から注いでもらう樽というより、ココロの内側から懇々と湧き上がる泉のよう・・。

 

「ココロの泉」という言葉が浮かびました。


私の中にココロの泉があり、その水は決して枯れることはない。

 

だけど自分を否定したり誰かと比較したりすればすぐ枯れてしまう。

 

だから枯れないように、枯らさないように、常に自分の行動を全部肯定しよう。

 

そうすればいつまでもココロの泉は満たされる・・

 

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そんな概念が導き出されました。

 

🌻

どんな行動も、どんな感情も、決して否定しないでください。
すべて「いいよ」と認めてあげてください。

 

それが、ココロの泉を永遠に満たす行動であり、愛着障害を乗り越え、自己肯定感を確立させる手段なのです。

【愛着障害】9.愛着障害の克服は依存症の克服にも役立つ?

岡田先生の著書を参考に実践をしていると、私自身ちょっと変化が現れてきています。


それをちょっと報告します。

 

私はこれまで何かあるたびに、「即SNSに投稿!」と動いていましたが、そういう気持ちが減ってきたように感じます。

 

というか、投稿どころか見る気持ち自体が消えつつあります。


これまでの行動を振り返ると

 

伝えたい!と思うとすぐSNSに投稿。そのとき、反応があればラッキー!、ない状態が続くとイライラしていました。

 

冷静になればかなりの依存心があったと思います。

 

しかし実践を始めてから、投稿しよう!と思っても、まあ別にいいかな、と思うようになり、あまりSNSに上げたいと思わなくなり、最低限に留めるようになりました。

 

さらにこれまでは数分ごとにSNSを見るような、一種の依存症に近い状態だったのもなくなりつつあります。

 

さらに食べるものにも変化がありました。


ポテトチップスやお菓子を求めなくなったり、常に何かつまみ続けるような行動も減っているように感じます。

 

おそらく、自慢も否定も全て肯定することで、自分でも気づかない潜在的な部分が感じていたストレスが軽減されていたり、自分に対する揺るがない信頼によって、SNSや対人関係における心の揺らぎが減ってきていることなどが考えられます。

 

自信は仕事を中心にそれなりにありましたが、他者からもらう評価のため、どうしても時間が経つと消えてしまったり、ちょっとしたことで一気に崩れてしまうため、安定しない感じでした。

 

それが全肯定という、たった一つの行動で内側から自信が溢れてくるのですから、本当に不思議で仕方ありません。

 

愛着障害の概念は、愛着が不安定だと情緒不安定や無関心といった人格面に対する問題が起こり、一方で愛着の絆が確立されていると情緒が安定し探求心が芽生えると言われています。

 

確かにその部分は強く実感しています。

 

しかし愛着障害は人格面だけでなく、過食やSNS、買い物依存といった依存症も起こすのですから、いかに愛着を満たすことが人間にとって重要なのかを学びました。

 

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岡田先生もおっしゃっていますが、愛着障害が依存症を引き起こすのは事実で、この部分については正直無自覚に近かったです。


まさかこれも愛着障害による弊害だったなんて・・目から鱗

 

満たされないから満たされるものにすがりつく。


それは人だったり、物だったり、行動だったり・・

 

そういった依存から脱却できず苦しんでいるのでしたら、根底に愛着障害が潜んでいるかもしれません。

【愛着障害】8.人と違うことを責めなくていい!あなたはあなた!

とにかく私の性格は子どもの頃から人と違いまくっていました。

 

女子なのに、男子がやることが大好き。

 

というより女子が好きな物は毛嫌いしてしまいます。


ファンシーなもの、かわいいもの、アイドルや女優俳優・・

 

全く興味が湧いてこないのです。

 

逆に野球にゲーム、電車といった男子向けのものが大好きです。

 

昔は価値観の固執が今よりも強く、女子は女子らしく、男子は男子らしくの考えで人を区別し、外れた人は排除する風潮だったと感じています。

 

しかし最近はスピリチュアル的に考えると、星の運気が個性的な人を表す「水瓶座」の方向に動いているため、ジェンダーフリーや同性愛、一芸に秀でている人やちょっとニッチな人が認められる時代になりました。


おかげで私のような難あり性格も受け入れられつつあるのは本当にありがたいものです。

 

とはいえ、これまでの間に何度となく「あなたは間違っている!」という否定批判を受けたことで形成された「私は間違っている」の念は消えません。

 

具体的に言うと、一番苦しんでいたのは身内が病気になると苛立ちがわき上がる点。

 

普通に考えれば「あり得ない」と思われますが止められないのです。

 

長年葛藤していましたが、その原因も実は愛着障害と分かりました。

 

著書によるとこれは回避型の一部で、養育者からの放置が原因とありました。

 

確かに風邪をひいて寝込んでも、飲み物や薬が置かれているだけで誰も来ない。


甘えることすら許されない。そんな雰囲気が家庭を包んでいました。

 

どうしてこうなんだろう・・
どうして人に優しくなれないんだろう・・

 

ずっとそのことを考えていましたが、その原因が分かったときは言葉にならない感情が溢れました。

 

「あなたは悪くないんです。だからもう責めなくていいんです」

 

何度も自分に言い聞かせたことで、縛り付けられた感情からようやく解放されましたし、合わせて親に対する恨みもやめて、許そうと思えるようになりました。

 


もしあなたが私のように価値観に縛られていたり、自分を責めているのであれば、やめましょう。

 

他人と違うことは間違いではありません。

 

あなたが社会でそれなりに生きていけているなら、それでいいのです。

 

全部が全部、周りに合わせなくていいのです。

 


あなたはあなた。自信を持ってくださいね。

嫌な人はあなたを成長させるためにある

許すの話には、続きというか一つの出来事があります。今回はその話を。

 

初めて「許しましょう」という考えに触れたのは、浅見さんではなく別の方の本からでした。

 

それは今からもう15年ほど前でしょうか。

私は仕事のストレスで体調を崩し、1年ほど仕事から離れていました。


責任感が強すぎて、自分がやらなきゃいけないという追いつめが限界に来てしまったのです。

 

最終的にその会社は辞めることになるのですが、当時の上司が私にメンタル面の回復にと、ある先生を紹介してくださいました。

 

その先生は整体もしつつ私のメンタル面の相談にも乗ってくださり、立ち直るためのヒントをいただきました。


そのとき教えていただいた「大丈夫、すべては上手く行っている」のお言葉は今も口ずさむ呪文の一つです。

 

そんな先生のところにはいろいろな本が置かれており、その中にあった一冊の本がどうしても気になって、いつも立ち読みしていました。

 

ある程度治療が進んで、私自身そろそろ卒業かな・・と思いつつその日も本を開いて読んでいたら、先生が「そんなに気に入ってるのなら持って行きなさい」と渡してくれました。

 

「それだけ気になるのなら、今のあなたに必要だということですよ」

 

穏和な笑顔の先生の言葉に甘えて、私はその本をいただきました。

 

とても暖かみのあるイラスト、見るたび包まれるようなその本は、当時の私を何度となく癒してくれました。


そして後に浅見さんとの出会いにつながるのです。


この方の「許す」とは、

 

あなたの周りで嫌なことを言う人や意地悪をする人は、あなたの魂を成長させるために仕方なく行っている。だから有り難く思ってください

 

というもの。

 

その考えで振り返ると、怒りで許せなかった人に対して「ああ、私のために、やりたくないけれどそんな立場で接してくれていたんだ」と思えるようになり、心からありがとうと許せるようになりました。

 

「許す」って本当に難しいかもしれませんが、だからといってその人や物事に対していつまでもしつこく思っているのは執着でもあり、疲れるように思います。

 

精神の限界を超えてしまったという、私の中では辛い思い出も、先生や一冊の本との出会い、そして引き力の法則といった、思考の柔軟性へと変化できたので、決してそれは無駄なことではなかったのだと思っています。

 

自分にも、周りの人にも、穏やかな気持ちをどこかに持つだけで、きっと世界は今よりもっと優しくなれると思います。

 

皆さんの日常が、一日も早く戻りますように・・

 

 

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