愛が愛であるように お前はお前になればいい
こんにちは。
突然ですが、「ゾンビランドサガ」というアニメをご存知でしょうか?
佐賀県を舞台に、様々な時代に若くして命を落とした少女たちが、謎のアイドルプロデューサーによって蘇り、アイドルグループとして佐賀を救うため活動するストーリーです。
非常に反響が強く、現在でも佐賀県の協力のもと、佐賀県内のご当地ナンバーに採用されたり、ふるさと納税の返礼品にグッズが取り扱われていたり。
先日には映画化の発表もあり、まだまだ人気は続きそうです。
さて、そんなゾンビランドサガの第二期、リベンジ編の中で、俳優の白竜さんが登場する回があります。
ホワイト竜という地元では名が知られ、長くラジオの深夜番組を持つ設定でした。
しかし年々その人気は落ち、ついに番組はなくなることに。
そんな場面で流れたのが、紹介する「風の強い日は嫌いか?」です。
唯一ヒットを飛ばしたこの曲。
とてもいいんです!!
一言でいうと、正真正銘の深夜放送向けなバラード調。
印象は80年代のオールナイトニッポン。
夜中って、人は色々物思いに耽る時間だと思います。
元々の作品の主役はアイドルグループなので、正直言うとこれは挿入歌。
なのであまり聞こうとは思っていませんでした。
たまたま仕事帰り、夕方の車内で流したら、「なんだ、この歌詞は?」と耳を傾けたのです。
まるで自分のことを歌っているように感じたのです。
生き方に迷っている、悩んでいる時。
一つの方向性や道しるべを示しているようにも感じたのです。
”愛が 愛であるように
お前は お前になればいい”
この言葉だけで、私だけでなく、きっと迷っている心は救われる気がします。
SNSを楽しむ上で大切なこと
こんにちは。
SNSをやっていると、どうしても閲覧者の数やいいねといった評価に囚われてしまうことってあると思います。
かくいう私も、趣味のTwitterにFacebook、ブログも心理系に仕事関係と多種多様に持っていますが、投稿するたびにアクセス数を気にしてしまうものです。
フォロワーが増えた、減ったで一喜一憂することもあります。
なぜそうなってしまうのか。
それは「自分が相手にとってどう思われているか」が気になってしまうからだと思います。
人は誰しも他人と関わって生きています。
だから自分が相手にどう思われているか、嫌われていないかと考えてしまうのです。
そんな他者の評価が気になりすぎて、本音が言えなくなってしまったら、正直言って「あなたらしさ」が消えてしまってもったいない。
最近、いわゆる「バズる書き方」といった本をよく見かけます。
今よりも多くの人に見てもらって目に見える評価がなされるのなら、そりゃ知りたいです。実際私も数冊買って読んでますし(笑)
だからきっと流行っているのでしょうが、私はそういうのって書き方を参考にするくらいで、このフォーマットにあわせて、とか、この辺りが話題だから、とか世の中に合わせすぎるのはどうかなーって思ってます。
自分が書く記事や投稿で、誰かを傷つけたりしていないかと考えるのは、マナーの観点から必要ですし、いいと思います。
しかし自分の書きたい内容ではなく「ウケる」をメインにして書こうとすると、絶対どこかで挫折します。
自分らしさが出せない窮屈な思いをしてまで、他人に受けたいものでしょうか。
私なら、逆に魅力を感じるどころか、下心が見え見えで避けてしまいます。
むしろ伸び伸び、思ったままを綴った投稿のほうが面白い!って思うんです。
つまり、伝えたいのは
あなたの記事に反応する人はごくごく一部。
それ以上に存在するのが「サイレントマジョリティ」
です。
サイレントマジョリティ。それは目に見えない閲覧者のこと。
フォローもない、いいねもない。
だけど実際はとても多くの人にその記事や投稿は見られています。
反応がなくてもめげない。
いいねの数が少なくても、落ち込まない。
誰もあなたのことを見ていないことは絶対ありません。
だから思いの丈をもっともって晒していいんです。
だって、
あなたの「好き」や「推し」を知りたい人はたくさんいるんですから。
先ほどのバズる書き方に戻りますが、読みやすい文章は大事。心に響く内容も大事。
でもそれ以上に、
あなたの中に秘めた熱い思いと、一貫した方向性が大事。
だから承認欲求に踊らされないように。
と、今回もとりとめのない内容でした。
ちょっと私に向けたエールでもありますが、みなさんにも伝われば嬉しいです♫
モヤモヤが出てきたらノートで自分と対話しよう
こんにちは。
どうしても日々色々やっていると、ときには日によってモヤモヤすることがあります。
事がうまく運ばない、ちょっとした誰かの行動が気になる、心を込めて投稿したSNSに誰も反応がない・・
こんなちょっとした些細なことが引き金で、運気は下がっていくものです。
はじめは「なんとなく」としても、「あれ?」と意識すると運気の低下は急降下。
悲しくなってきます。
そんなときはノートの出番。思いの丈を書きましょう。
ちょうど今、「書く習慣」という本を読んでいますが、そこにノートを使った解決方法が紹介されていました。
やり方は簡単。
とにかく浮かぶままを書きなぐるのです。
あの人がああだから、とか、なんでこんなにモヤモヤするのか、その原因は・・などなど。
深く考える必要はありません。
それだけであら不思議。頭の中がスッキリするのです。
近くにノートがないときは、裏紙のメモでもかまいません。
あまり人に打ち明けない私は、こんなふうにしてモヤモヤを消しています。
スマホのメモやパソコンのテキストエディタに書くこともあります。
とにかく早いうちに解決するのが一番です。
要は
書いて頭の中から出しちゃうのが大事で、頭の中で解決策を出そうと回転させても何も変わりません。むしろ何も進まないし、モヤモヤは取れません。
だから書いてしまって発散するのがいいのです。
ノートで自分と対話する。簡単でお手軽なお悩み解決方法です。
夢の実現はノートで掴め!
こんにちは。
これまで私は夢の実現にノートを活用してきました。
今日はそんなノートとの出会いと、ノートを活用した夢の実現について色々語ってみたいと思います。
「書く」って、楽しい!
まず伝えたいのは、「書く」は楽しいです。
書くことで、自分と向き合えるからです。
私自身、「書く」ことは結構好きです。
学生時代はそれほどだったのですが、そのきっかけになったのがパソコンとの出会いです。
ブラインドタッチを習得し、文字入力の楽しさを知ってから、「文字入力」は最高の気分転換になっています。
それに学生時代のように決められた課題について無理やり書くのではなく、自分の思いを吐露する場所なので、書くことへの抵抗感は無くなりました。
その時使うコンテンツは、気分次第でパソコンだったり、手書きだったりしています。
私のノート歴
さて、私のノート歴は途中お休みもありつつ、20年以上になります。
元々はよくある恋愛系からで、好きな人とのやりとりとかをつらつら書いたものです(//∇//)
そこから大きく変化したのが、中山庸子さんの「夢ノート」でした。
夢ノートは一冊のノートに叶えたい夢をリストにして書いていくものです。
その内容はとにかく率直に、かつ完了形で書くのが良いです。
大きな夢から「○○を買ってくる」のTODOまであり、時には100を超えました。
夢ノートによって私の夢はたくさん叶いました。
そして形を変えながらも10年ほど続けました。
「書く」と夢が現実に近づきます
これは中山さんもおっしゃっていますが、
「書いた夢は常に目に通しておく」
と夢の実現は早まります。
それは記録もそうですし、日記もそうですし、リストもそうです。
常に眺めることで夢の実現は近づきます。
だから書くならば、
起きたことをそのまま書く日記よりも、
ちょっとでも嬉しかったことや楽しいことが詰まったリスト型の方が
長続きしますし、自然と読みたくなるはずです。
夢を叶える上でのノートの重要性はこちらにも詳しくありますので、参考にどうぞ。
「必要になったから」始めた記録もノート効果アリ!
夢ノートとは違うスタイルとして、番外編に大学の履修記録があります。
通信制大学で単位を取得することとなり、学習計画やら進捗状況を管理する必要が出たので、Excelでパパッと作り、そこに必要事項や気づきをまとめました。
この記録は、後に学習日記に発展し、ちょっとした夢ノートの延長線になりました。
そのおかげでしょうか。
難関と言われる通信制大学を4年ほどで無事卒業できました。
今見返してみても、やはりこの記録の存在は大きかったです。
とにかく立て続けに締め切りが襲ってきていたので、覚えきれなかったのです。
そのためこうして記録に残し、記憶から消すようにしました。
そして常に確認していましたので、すべての締め切りに間に合わせることができました。
改めて記録の重要性を知りました。
1行日記とミーニングノートへ
大学卒業後、書く使命がなくなり、私は書くことをしなくなりました。
すると徐々に目標も見失い、やることがうまく行かなくなりました。
自暴自棄になることもありました。
そんなある日、ミーニングノートの紹介コラムを見つけ、読んでみました。
夢ノートに近いな、と感じつつ、でもやり方はちょっと違う。
そんな興味本位から、久しぶりにノートを探し、書き始めました。
面白いもので、書き始めたら運気が変わってきたのを実感しています。
常に「自分の今」に着目するので、人との比較する暇もなくなりました。
さらに、これまでは事が起こるたびビクビクしていましたが、今では逆にワクワク感に変わっています。
その理由については、ぜひミーニングノートをお読みください。
その後「1行日記」にも出会いました。
最初こちらを実践していましたが、今はミーニングノートをやっています。
まあ色々試している段階なので、今後どちらかの手法になると思います。
概要については以下のリンクで紹介していますので、自分に適したやり方で進めてみてくださいね。
まとめると
ノートは相棒です。
誰にも話せないことも、SNSに書けないことも、ここでは素直に言えます。
だからノートも、文房具も、自分のお気に入りで揃えてみましょう。
前向きな気持ちになれるので、自然と相棒になってくれます。
この秋、ぜひ一冊ノートを準備して、夢をかいてみてはいかがですか?
感情の発散、していますか?
こんにちは。
突然ですが、みなさんは「嫌い」の感情をどうしていますか?
つい前までなら居酒屋で同僚と酒を飲みながら愚痴ったり、女子会でだべったり・・と色々な形で感情を発散されていたかと思います。
ですが人によっては、その感情を「良くない」と蓋をしてしまうのです。
そんな心の優しいあなたに、同じ立場から少しレベルアップできた私の考えをお伝えします。
子どもは素直。だけど大人は・・
子どもと関わる毎日を過ごしていると、よく報告?のような話をしてくれます。
「ねえ、私○○さん嫌い」
「どうして?」
「だって~」
子どもは親や先生、友達など身近な人に自分の思いを伝えて、同意を得ようとします。
それは大人も一緒でしょう。先の居酒屋談義や女子会はその典型ですから(汗)
みなさんも子どもの頃、同じように気軽に「好き・嫌い」をぶっちゃけていたと思います。
しかし不思議です。
大人になるとよほど気心知れた人か、お酒の力借りて、じゃないと言いませんよね?
では、その感情は無くしてしまったんでしょうか?
違いますよね。
単に表面上に出ないだけで、無くしたわけじゃない。
心優しい人に伝えたいのは、まずその感情を認めてほしいということです。
認めてください。嫌いだと感じるその感情を。
それだけでメンタル的にも全然変わります。
感情に蓋をする毎日を繰り返したら
さて、ぶっちゃけ私にも、どうしても好きになれない、嫌いな人がいます。
姿を見るのも、声を聞くのもイラッとして、仕事に集中できないくらいです。
長く「嫌い」の感情は蓋をしていました。
嫌いになることが良くない、嫌いになる自分が悪い。
そう思っていました。
でも駄目なんですよね。蓋をするって。
蓋をすることは、自分で自分を否定しているのと同じです。
自分が自分を否定する。
これが積み重なると、体調が悪くなりますし、運気も下がります。
そしてうまく行かないから自分や他人を恨みます。
結局落ち込むから、どんどん運気も悪くなる、悪循環でした。
「嫌い!」の感情は紙に書き出そう!
そんな私が変わったのは、一つの本の出会いでした。
”疲れたら休めばいい、ということが何故こんなにもヘタクソなんだろう” です。
ここに、「お恨み帳」の紹介があります。
怒りがあったらそこにとにかく感情の赴くまま書きなぐる。
そしてバリバリに破り捨てる。
それだけです。
シュレッダーでもいいです。燃やすというやり方もあります。
これを感情が収まるまで続けます。
するといつしか落ち着きを取り戻し、冷静に見ることができるようになるのです。
ちなみに
私もかつてやってみたのですが、どうも書いて見返すと恥ずかしくなるので
「くそーーー!!あんにゃろーーーー!むかつくんじゃーーーーー!」
とか
「嫌いじゃ嫌いじゃ!あんたのことなんか大嫌いじゃーーー!!」
とか
心の中で叫ぶ方法にしました(笑)
それも平然と。
・・ちょ、ちょっと恐ろしいですよね。
まさか心の中でこんなこと言ってるなんて思ったら。
ご安心ください。私の場合は一人の場合やなにか作業しているときにやってます。
すると不思議なもので、実際嫌いな人が近くに来ても、声が聞こえても心が穏やかでいられるのです。(完全ではありませんが、イライラの度合いがガクンと減ります)
心が穏やかになると、嫌なことが起きても動じなくなります。
恨むこともなくなります。
さらには物事に対して「ありがたいなあ」と感謝すらできるようになるのです。
そう、ハッキリ申し上げます。
運気は上がります。
大人もやってほしい。感情の発散!
「嫌い」の感情に蓋をする行為は、おそらく学校教育での「みんな仲良く」や、日本人特有の「同調圧力」が背景にあるのでは?と思います。
確かに「みんな仲良く」の考えは悪いことではありません。
行き過ぎるのが良くないのです。
自分の感情を無視してでも相手を受け入れようとしないでください。
合わない人とは、合わないのです。
その事実を認めた上で、人と関わればいいのです。
大人だからこそ、子どものように
むかついたことや苛ついたことをノートに書くもよし。
私のように心の中で叫んだっていいんです。
ただし他人に聞かれたり見られたりしないよう証拠は隠滅しておきましょうね(笑)
特にSNS上なんて書いたら残りますから・・
いかがだったでしょうか。
私自身どうしても人を嫌いになる事自体に強い抵抗がありましたので、踏み切るのにかなり苦慮しました。
ですが今ではちょっとでもムカッと来たら感情を爆発させ、感情の赴くままに生きるように切り替えたら、生きやすくなったように感じます。
怒ることへの罪悪感をお持ちの方はぜひ実践してみてくださいね。
ハッピーな1日をお過ごしください!
あなたの経験や知識を求める人は存在する
毎朝、布団の中でうつらうつらしながら聴いているラジオから、こんなお話が聞こえてきました。
『この前ある女優さんの特番をやったとき、とても面白い逸話があったのですが、ほかの番組で話したことなのでここでは触れなくていいか、と思って話さなかったんです。
だけどリスナーさんからあの話をしてほしかったとその後メールがあって、ああ、自分は何度も話しているからと封印するのではなく、面白いと思っているなら何度でも話していいんだと気づいたんです。』
かれこれアナウンサー歴30年近くのベテランさんでも、新たな気づきがあるんだ・・
そう感じたのです。
自分にとってありきたりな話でも、受け取る人にとってはものすごい有益な情報だったりすることがあります。
私も仕事や経験で得た情報は数多ありますが、どうしてもそういった情報って他人に公開するほどのものじゃないと思ってしまうのです。
だけどこのお話ではありませんが、意外とそんな話を聴きたいと思う人は結構いるものです。
「こんな話、誰も面白いなんて思わないだろう」
「もっと興味深い話の方がいいに決まっている」
そんなふうに決めつけていませんか?
その話が面白いか、面白くないかは、聞き手が判断することです。
発信者が決める事じゃないんです。
だからあなた自身の判断で閉じこめてしまうより、とりあえず投げかけてみてはどうでしょう。
ちょっとした裏話や体験談は、時にその人の人間性を感じ取ることができます。
きれいな上辺な話より、感じたまま、思ったままの荒削りな話の方が楽しかったりするものです。
そんなことを伝えたいな、と思いながら今日も駄文を書くのです。
私が感じた思いに共感してくれる人がいると信じて・・
子どもと大人、本当に生きやすいのはどっち?
子どもの頃、「早く大人になりたいなー」と思った人、多いんじゃないでしょうか。
その裏にはもしかして(大人になれば勉強しなくて済むとか、好きなものを好きなだけ買える・・)という邪な思いがあるかもしれませんが(笑)
まあそれはともかく、大人に憧れるって素敵なことだと思います。
そう書いているのに、かくいうジブンは『ずーーーっと子どものままでいたい!』と20歳過ぎまで強く願いながら過ごし、結局あきらめたという幼稚な大人です(苦笑)
さて、早く大人になりたいと思って実際大人になってみたら、「あれ?子どものほうが良かった」なんて思ったりするのですから、いやはや不思議なものです。
そこで、子どもと大人どっちが満足できる生き方なのかを考察してみようと思います。
生きやすいのは、子どもも大人も同じ
ジブンなりの結論言っちゃいますが、
どっちも生きやすい(はず)なんです。
「はず」と入れたのには理由があるから。それをこれから書いてみますね。
子どもは空気を読まない(読めない)
仕事上、小学生と関わっていますが、やはりひとつ言えるのは空気を読まない。
人が話しているのに割り込んだり、取り組んでいる友達の邪魔をしたり。
まあ、それは年齢が低いせいもあるし、そもそもジブンも空気読めない子どもでしたから(笑)仕方ないなって思うんです。
自分のことしか考えてなくて周りを読めてないからだと思います。
でもやけに空気が読める子も中にはいます。
自分より他人を優先する姿勢。こちらからすると手伝ってくれたり気遣いができるのでありがたいとは思うのですが・・
冷静に考えるとそれっていいのかと思います。
健全に成長して、大体高学年あたりになれば空気を察知する能力が育ちますのでいいのですが、低学年で誰かに気を遣うのは子どもらしくないような気がします。
おそらくですが、その背景には
「かまってもらいたい思い」や「いい子でいないと認められない」
という不安や恐怖が隠れているのかもしれません。
大人は空気を読みすぎ
逆に、大人はどうでしょう。
すでに思春期で同級生や周りの人との関係性を気にするようになっていますので、それなりに空気は読めます。
しかしここでも危機を感じるんです。
「空気、読み過ぎじゃないか」と。
子どもの頃に培った「空気を察する力」が、大人になってさらにパワーアップ!して働きすぎている人、いると思うんです。(はーい、ジブンでーす)
誰かが頼んだわけでも、望んでもいないのに先回りして仕事や家事などをやる。
そうしないと怖くて仕方ない。
不安がもたらす典型的な行動パターンです。
これが続くと、燃え尽き症候群や鬱といった病や無気力、感情の起伏が激しくなるなど自分をコントロール出来なくなりますし、なにより
『生きづらい』です。
そう考えると、極端なものの捉え方をする思考は人生を辛くさせると思うんですよね・・
しんどいですよ。経験してますから言えますが。
子どもと大人、どっちも生きやすい世の中にしたいもの
これは個人的観点ですが、年々そういった苦しみを持っている人が多くなってるように感じます。
子どもは
・無邪気で好奇心旺盛
・周りの様子が見えてないことが多い
大人は
・責任が伴うので常に注意を払う
・無邪気になることはあまりない
こうまとめてみても、両極端すぎます。
だから
子どもと大人、どちらのいいところを取り込めば生きやすくなる
そういうことじゃないかと思います。
子どものうちから大人による過干渉や暴力等で居場所を失っていたら、人の顔色見てビクビクする性格になるのは当たり前な話です。
子どもは子どもらしく過ごしてほしい。
大人にも大人らしさを持って過ごしてほしい。
もし成長過程で深い傷を負ったのであれば、その傷や不安、悲しみを癒やして乗り越える。
それ以外にも、こうした環境を生み出す大人に対する心のケアも必要なんじゃないかと考えます。
世の中には色々な人がいます。
積極性のある人もいれば消極性の人もいる。
攻撃的な人もいれば温厚な人もいる。
この「基本」を理解して、自分の心を守れるようにしたいものです。