プリキュアが目指す「自分らしさ」と自我同一性
2018年に放送されたHugっとプリキュアは「なりたい自分になる」ことをテーマに取り上げた、一種の異色作でした。
やりたいこと、目指したいことを通じて、自分のあり方とは何か?を1年を通じて視聴者に訴え、内容によってはジェンダーフリーなど現代社会に潜む価値観に一石を投じるものもありました。
さて、そんなプリキュアの根幹は心理学の世界で言う自我同一性です。
自我同一性とはエリクソンが提言したもので、青年期において今の自分や過去の自分、他者から見た自分を意識し、自分のあり方に悩みつつも最終的に「自分は自分で、変わることのない自分」という明確で肯定的な意識が生まれることを意味しています。
(杉山千鶴子著 改訂教育心理学より)
つまり、自我同一性とは、自分らしくあることと言えます。
しかし現代は、この自我同一性の確立が難しくなっているのです。
なぜなら、
- 特に自ら動かなくても自由や豊かさを得ることができている
- 受験以外で乗り越えるべき目標が存在しない、見つからない
- 自分が何をしていけばいいのか分からない
また、社会の一員として参加する意識が乏しいことや、当事者意識を持たず、いつまでも学生気分でいたい心境が、自我同一性の確立を困難にさせている要因と言われています。(うーん、モロ私だ・・)
その結果、
- 人の目が気になる
- 誰かと比較することで自分が確立できている
- ありのままを見せたくない
- 嫌われたくない
一言で言う「生きづらさ」を感じる人が増えているのです。
プリキュアは、そうした社会が作り出す問題点に対して、15年間疑問を呈し続けています。
女の子は女の子らしくあるべき、とは誰が決めたのでしょう。
男の子は男の子らしくあるべき、とは誰が決めたのでしょう。
仲よくなりたいなら真正面から関わり、互いを理解すればいいんです。
あなたがなりたい姿を叶えていっていいのです。
プリキュアはそんなメッセージを小さい子どもたちに伝えながら、今の社会が実現しにくくなった自我同一性の確立を実現できるよう貢献しているように思えます。
従ってプリキュアは、単なる子供向けアニメではなく、人として新たな可能性を模索している作品と言えるのです。
あなたが感じる生きづらさは、自我同一性が不確立だからではないでしょうか。
自我同一性を確立することは、きっと今からでも作り上げることはできると思います。
あなたがあなたらしく生きる勇気。ただそれだけです。
ちょっと自我同一性が不安定な私も、一緒に確立を目指していきたいです。
嫌な人はあなたを成長させるためにある
許すの話には、続きというか一つの出来事があります。今回はその話を。
初めて「許しましょう」という考えに触れたのは、浅見さんではなく別の方の本からでした。
それは今からもう15年ほど前でしょうか。
私は仕事のストレスで体調を崩し、1年ほど仕事から離れていました。
責任感が強すぎて、自分がやらなきゃいけないという追いつめが限界に来てしまったのです。
最終的にその会社は辞めることになるのですが、当時の上司が私にメンタル面の回復にと、ある先生を紹介してくださいました。
その先生は整体もしつつ私のメンタル面の相談にも乗ってくださり、立ち直るためのヒントをいただきました。
そのとき教えていただいた「大丈夫、すべては上手く行っている」のお言葉は今も口ずさむ呪文の一つです。
そんな先生のところにはいろいろな本が置かれており、その中にあった一冊の本がどうしても気になって、いつも立ち読みしていました。
ある程度治療が進んで、私自身そろそろ卒業かな・・と思いつつその日も本を開いて読んでいたら、先生が「そんなに気に入ってるのなら持って行きなさい」と渡してくれました。
「それだけ気になるのなら、今のあなたに必要だということですよ」
穏和な笑顔の先生の言葉に甘えて、私はその本をいただきました。
とても暖かみのあるイラスト、見るたび包まれるようなその本は、当時の私を何度となく癒してくれました。
そして後に浅見さんとの出会いにつながるのです。
この方の「許す」とは、
あなたの周りで嫌なことを言う人や意地悪をする人は、あなたの魂を成長させるために仕方なく行っている。だから有り難く思ってください
というもの。
その考えで振り返ると、怒りで許せなかった人に対して「ああ、私のために、やりたくないけれどそんな立場で接してくれていたんだ」と思えるようになり、心からありがとうと許せるようになりました。
「許す」って本当に難しいかもしれませんが、だからといってその人や物事に対していつまでもしつこく思っているのは執着でもあり、疲れるように思います。
精神の限界を超えてしまったという、私の中では辛い思い出も、先生や一冊の本との出会い、そして引き力の法則といった、思考の柔軟性へと変化できたので、決してそれは無駄なことではなかったのだと思っています。
自分にも、周りの人にも、穏やかな気持ちをどこかに持つだけで、きっと世界は今よりもっと優しくなれると思います。
皆さんの日常が、一日も早く戻りますように・・
高津理絵 幸せが雪崩のごとく起こる本
あなたの笑顔で世界は明るくなる
年を取るから笑わなくなるわけではない。
笑わなくなるから、歳を取るのだ。(ユダヤ教)
Twitterのタイムラインにこんな言葉が流れてきました。
思えばここ数日、面白くなくてちょっとムスーッっとしているなあ、と気づきました。
見ているテレビもつまらない。
Twitterは特に変化もないし、興味関心あるものも少ない。
アーケードゲームのスコアも伸びない。
大好きなプリキュアを見ても、現実に戻ると寂しさで沈んでしまう。
不満がある訳ではないのですが、おそらく先の見えない、未来が見えない状況が、心を閉ざし気味にしているように感じます。
先の言葉から、私はかつての一場面が浮かびました。
まだ精神的に不安定だった頃「暗い顔してるから、ちょっと微笑みながら過ごしてごらん。いいことが舞い降りてくるよ」と誰かから教えてもらいました。
そんなことを思いながら電車で座席に座り、周りの人に分からないくらいちょこっとだけニコっと口角をあげて車窓を眺めていたら、ふさぎ込んでいた心の中の雲がどんどん取り払われていって、世界が輝かしく思えた記憶があります。
特にいいことがあった訳ではないのですが、なぜか未来に希望が持てるような感覚を覚えたように思いました。
笑いは免疫効果を高めると言われています。
大学で学んだ憎っくき英語のテキスト(笑)にも、笑いの効果が紹介されていました。
笑いは大笑いじゃなくてもいいのです。
全てを許すような、大切なものを愛でるような微笑みでも十分なのです。
たとえ今は、感謝できる心境じゃなくても、
たとえ未来が見えなくて暗くふさぎ込んでいたとしても、
ちょっとニコッとすることはできるはずです。
試しに1分だけ、口角を上げて微笑んでみてください。
きっとココロがホワンとあったかくなりますよ。
笑顔、忘れていませんか?
こんな時だからこそ、あなたのその優しい笑顔を、自分にも、周りにも与えてあげてください。
その小さな行動が、あなた自身に、あなたの周りに明るい光をもたらすと思います。
「待つ」ことは何もしていないこと?
これは私自身の大きな課題なのですが、「待つ」ということは本当に難しいとつくづく感じている状況です。
「何もしていないじゃないか」
「自分からやること探しなさい」
子どもの頃から受動的な私は、いつもよくそう言われて怒られていました。
両親は私と違い、忙しく動き回る人でした。そのためか常に動くことが正しい、何もしていないことは悪いことだと、無意識的に思うようになっていました。
だから社会人になり仕事をしていて、何もないときは本当に心苦しくて仕方ありませんでした。
何かを探すにも、見つからない。
周りは忙しくしているのに私は・・
そう思い詰めては、周りの目をものすごく気にしてしまい、この場から早く抜け出したい衝動に駆られるのです。
それは今思うと自らストレスを呼び込んでいたのです。
現在は自粛状態ですし、そもそも仕事の契約は切れていますので自ずと「待ち」状態です。
そうなるとまた「何もしていない」自分を責めがちになってしまうのです。
「何もしていない」は「何もしていない」をしている
常に自分を責めている私に、相方がこう言いました。
この言葉にハッとしました。
何もしていないのではない。何もしていないをしているんだと思えば、決してサボっている訳じゃない。
だから不安に思うこともないじゃないか。
このちょっとした見方を変えることで、一気にココロの不安は消えました。
加えてドリアン助川さんもこのように話していました。
待つという行動は、行うことと同等。
この一言も、大きな影響を与える言葉でした。
待つという姿勢は、行うということと等しく重要。ドリアン助川【ゲーテの名言⑥】 | GOETHE[ゲーテ] |男性月刊誌『GOETHE』発のWebメディア
待っているって、私にとって結構辛いです。
結果が見えず、動くこともできないのですから、忍耐力が試されているように感じます。
私のように常に動き回ることが正しいと思い込んでいる人間としては、待つこと=何もしていない=悪いことと認識しがちです。
しかし動き回ることで逆に状況を悪くさせることもあります。
だからこの機会を利用して、すぐには身につかないかもしれませんが「待つ」ことは決して何もしていないことではない、だから自分を責めたりしなくていいんだと言い聞かせてみようと思います。
天気がいい日もあれば悪い日もあります。
だから天気が悪いように結果が出なかったから自分はダメな人間だ、と悲しむ必要もないのです。
焦って結果を求めてじたばたするよりも、今日はあえて「何もせず」、その場の流れに任せてみるのもいいのではないでしょうか。
人間らしさを出せば、もっと輝ける
みなさんはどんな理想の人物像をお持ちでしょう。
仕事を完璧にこなして、周りの人たちと笑顔で過ごせて、叱るときはビシっと叱れる。キリッとしていてカッコイイ・・(これは私の理想)
理想の形は人それぞれにあるでしょう。
それだけにどうしてもかっこわるいところや失敗を見せたくないものです。
だけど本当にそれでいいんでしょうか。
失敗や苦しみ、悲しみを見せないでいることが本当に正しいんでしょうか。
そんなことをプリキュアを通じて思いました。
たとえば、人に厳しく接するがために、自分一人ですべてを抱え込んでしまう。
たとえば、一つのことに集中する力はすごい反面、周りが見えなくなる。
これは実際プリキュアに存在するキャラたちです。
どんな人にも欠点があります。
それを乗り越えるために、人はがんばります。
しかし時には自己嫌悪に陥って、落ち込んでしまうこともあるでしょう。
そんな姿を人は大人になればなるほど見せず、無かったかのように気丈に振る舞います。
確かに感情を露わにするのは、大人としてどうかなと思うこともあります。
しかし悲しみや苦しみ、弱さを誰にも見せず完璧に振る舞うのは、逆に人間らしさが感じられなくて近寄りがたくなってしまうものです。
私も実際そういう部分があり、それが深く人と関われない原因だろうな、とは薄々感じています。
たとえアニメであれ、ドラマであれ、キャラクターに感情移入できるのはそんな人間らしさがあるからではないでしょうか。
完璧な人やキャラクターは確かに素晴らしいです。
だけどそれだと自分の姿と重ならないし、なんだか遠い存在に思えてしまうからココロの底から惹かれないんです。
だから不安かもしれないけど、ダメな部分をさらけ出すことって本当は大事なんじゃないかなと思うのです。
どうしても人はいいところを見せようとします。
弱い部分は誰だって見せたくありません。
ですがそんな弱い部分があるから支えたくなるし、逆にそういう部分が見えるとなんだか人間として興味関心が高まるように思えるのです。
今回のお話は私に向けた部分もありますが、私が私を好きになるために、あなたがあなたらしく輝くために、あえて弱さを表に出していきたいものです。
「人として輝くために、もっと弱い部分を出してみよう」
居心地の良い環境を引き寄せよう
今日はいきなり結論から話しますが、もしも今、居場所がここではないなと感じているならば、いつまでも無理してそこに留まる必要はないと思うのです。
今いる環境は、あなたにとって居心地のいいところでしょうか。
人にはどうしても合う環境と合わない環境が存在します。
それは学校だったり、職場だったり、時には飲み会だったり様々だと思います。
「なんか居心地悪いな・・」と思っていても、離れる事に対する罪悪感を持っている人はいると思います。
私もその一人です。
そうした感情を持っている人って、なんとなく周りの雰囲気を敏感に感じ取ってしまうんですよね。
だけどそれって、結構自分に負荷をかけているんです。
ついこの前まで、私は自分が我慢してでもその場に居続けることが正しいと思い込んでいました。
でもそれは自分の欲求を抑え込んでいることであり、体に負荷をかけている。
だからそれは正しいことではないと、ようやく気づくことができるようになりました。
浅見さんの本にもこのようなことが書かれていました。
あなたが自然体にしているのに楽しめなかったことは、あなたにとって縁のなかったことです。
あなたの運はもっとよくなる!
今、ここにいて何もないと感じるのであれば、無理して留まっている必要はありません。
さっさと立ち去り、自分の望む場所を目指せばいいのです。
あなたが輝けるステージは必ずあります。
今の環境にあなたが合わせるのではなく、環境をあなたに合わせてしまいましょう。
もしその行動が怖いと思っていても大丈夫です。
それくらい強気で攻めていっても、実はなんら問題はないです。
むしろその決意を持った姿勢が、あなたの望む環境を引き寄せてくれるのです。
すべてはあなたが何をしたいか。それだけです。
大丈夫、夢はあなた自身の手で掴み取れます。
会いたい人に会うためのおまじない
コロナウイルスの自粛が続き、人と会う機会がめっきり減りました。
一人好きの私も、さすがにそろそろ誰かと話をしたくなってきています。
そういえばあの人何してるんだろう。会いたいなあ。
でも今は無理だし、それに会うきっかけもないし・・。
昨夜、そんな気持ちがムクムクっと頭の中を駆けめぐりました。
そんなとき、私はおまじないみたいなワンシーンを思い出すのです。
まずカードキャプターさくらの最後で、こんなシーンがあります。
さくらちゃんがその人に会いたくて、その人もさくらちゃんに会いたいと思ってくれれば、また会えるよ
好きな人ができた、と雪兎に話すさくら。
だけど遠くへ行ってしまうから会うことはできないというさくらに、雪兎はこう告げるのです。
この言葉、とってもいいですよね。
会いたい気持ちを持ち続ける、そして相手にその気持ちがあれば・・
私は実際これで会いたい人に会えた経験がありますので、信じる気持ちって大切だと思います。
次は「水古風(ミズコフ)」というマンガから。
「私は彼女の本質を見ず、彼女を元気づけていた自分を恥じています」
「だったら彼女と会うべきです。会えば力になれるかもしれない。やり直すんですよ!」
「で、でもどうやって・・」
「希望を持てば必ず人と再会できる。あなたはご自身でそうおっしゃった」
イスラエル人で日本が大好きな大学講師のミズコフが、どうしても行動が気になって会いたい人がいることを大学の先生に相談するシーンです。
イスラエルに伝わる「伝いの木」。
その木に向かってこっそり誰々にもう一度会いたいと告白すると、その声は木を伝い、石畳を伝い、路地を伝い、風に乗り、必ずその人の耳に入るという言い伝えだそうです。
ミズコフは小さなクリスマスツリーを伝いの木に見立て、気になっていた人と再会を果たします。
伝いの木の話もステキですね。
文献として久しぶりにそのコミックを取り出したら、なんと1999年!
かれこれもう20年以上も前なのに、今でもそのシーンは私の心に強く残っていました。
読み返してみると、なんとこの部分に付箋が付いていました。
長く時が経っても私はこの場面を重要と思っていたんだと分かり、なんだか胸が熱くなりました。
風に乗せるといえば、戦隊ヒーローのエンディングにもこんな歌詞があります。
もしかあの子とケンカしたら 風にゴメンと言っちゃえば
(鳥人戦隊ジェットマン「心はタマゴ」)
風に思いを乗せるのは、直接言えなくて悩んでいるときにも有効かもしれませんね
最後は、浅見帆帆子さんの著書「わかった!恋愛編運がよくなるコツ」から。
人の意識は、思っているだけで相手に届きます。
人の持つ波動には、秘められた力があります。
その人のことを思う。
一日の中でほんの少しでもいいので思ってみる。
その積み重ねは、いつしか大きな結果を生み出すのです。
このように色々なアプローチの仕方がありましたが、まとめると、あなたの素直で真っ直ぐなその思いは、風であれ、宇宙であれ、波動であれ何らかの形でいつか相手に伝わるものです。
ふと「そういえば・・」と思うことは、相手ももしかしたら同じことを思っているのかもしれません。
今日は母の日。
コロナウイルスで直接会うことは難しいですが、これも「直感」の一つですので、ぜひこの機会にあなたにとって大切な人のことを、ちょっとでもいいので思ってみてはどうでしょう?