【愛着障害】2.愛着とは?愛着障害とは?
まず最初に「愛着」とはどういうものなのか。
ここについては岡田先生の著書と併せて「教育心理学」で学んだ知識とともにお話したいと思います。
愛着(アタッチメント)とは、イギリスの精神科医ボウルビィが提唱した考えで、親と子供の間に構築される特別な絆のことを指します。
乳幼児期に母親(養育者)としっかりした信頼関係にある子どもは、その後の環境変化にも適応できますし、対人関係においても有能な行動を示すことができると言われています。
これをボウルビィの愛着理論と呼びます。
ボウルビィの愛着理論を発展させたのが、アメリカの発達心理学者エインスワースです。
エインスワースは愛着における絆ができあがると、子どもは母親や養育者の存在に安心感をもつだけでなく、安全が保障されるという確証も得ると提唱し、これを「安全基地」と呼びました。
つまり愛着とは・・
養育者と乳幼児期にしっかりした愛情の絆が形成されることによって身につく心理的システム
ということになります。
しかし近年はこうした愛着が乳幼児期に正しく形成できない状況が増えています。
それが愛着障害です。
愛着障害は、先の精神科医ボウルビィが提唱したもので、第二次世界大戦によって親を失い施設に入った子どもたちに、発達における問題が起きたことが発端です。
その背景には虐待やネグレクトといった愛着の未発達があり、当時は施設の子どもだけの問題と考えられました。
しかし最近は施設だけでなく一般家庭にも起きているので、非常に身近な問題と考えられます。
たとえばこういった状況が挙げられます。
- 共働きによる放任
- 過保護、過干渉
- 養育者や兄弟に精神的な問題がある など
このような環境下に居る子どもは「安全基地」が存在しないため「愛着」が形成されなくなることから、子どもの精神は不安定となり、愛着障害が引き起こされるのです。
私も愛着障害を持っていることが分かりました。
そのタイプは今後報告するとして、愛着障害を理解した私なりの結論は
愛着は重要な土台かつ最後の砦
ではないか、と考えました。
どんなに心理学や自己啓発を学んだとしても、根幹である「愛着」の部分が未解決では本当の解決には至らない。
だから治ったようで治っていない。
理解してみて、そう感じたです。
性格的に人と上手く行かない、どうも不安を感じたり悩んだりする、生きづらいなと感じるのでしたら、まず「愛着」の部分を疑ってみるといいと思います。
そして愛着障害は生育環境が問題であり、あなた自身の問題ではないこと。
だからこれ以上あなた自身を責めないでくださいね。
具体的な方法などは次回以降に。
参考文献
【愛着障害】6.基本全肯定!ただし自省も忘れずに
愛着障害を克服する。
次は自分の行動や言動に対して「いいよ」と全部肯定する。
岡田先生はそうおっしゃっています。
本来なら自分を全肯定してくれる人をさがすのが一番ですが、私のように不安型だと恐ろしくて言えない(!)ので、またも一人でやってみることにしました。
たとえば
ブログ更新できた!→いいよ♪
余計なもの買いすぎた・・→いいよ♪
料理頑張った!→いいよ♪
今日は何も結果残せなかった・・→いいよ♪
投稿しても反応なかった・・→いいよ♪
このように行動したことに対し、全部「いいよ」とつぶやいてみるのです。
これを私なりに解釈すると、おそらくこれまでは相手の心次第で否定と肯定が決められていたので、安定した愛着が築けていない。
結果、人の顔色や機嫌を伺うようになる、人見知りする、自分に自信が持てないといった問題を抱えている。
それを治すために、恐れの原因である否定を一切せず、全部肯定することで、守られている感覚や自信が付き、安定した愛着が身につく、と考えられるのです。
実際やったところ、言葉にするのが難しいのですが光のオーラみたいなものが、心の奥底から湧き上がってくるのです。
初めて感じた、胸の奥から湧いてくる温かさ。
これも愛着?
そう感じました。
特にこれまでの私は、自分が意を決して行動したのに思った結果が得られなかったときの心理的ダメージが一番大きく、何度も続くことで否定と解釈、回避型へと移行していく傾向でした。
しかし今回同じことが起きたとき「行動したからいいよ」と認めただけで、それまで「やっぱり私なんて・・」と僻んでいた感情が、「次頑張る!」とプラスに転じるなど全然違いました。
誰かに言ってもらえなくても、自分自身で全肯定するだけでかなりな効果を実感できています。
ただし全肯定ばかりではいけません。
行動の振り返り、自省も必要です。
あなたが行った行動に基本問題はありませんが、場合によっては問題が生じていることもあります。
答えが欲しくて嵐のようにメールを送りまくる、とか
自己顕示欲が働いて鬼のように投稿を繰り返す、とか
認められないからわざとキツイ言葉を投げかける、とか
私もそうですが、知らず知らずのうちに悪い行動が出てしまう事って結構あります。
思い通りにならない時は自分の行動に問題があるのかもしれません。
適宜見直し、反省をしてみてくださいね。
さて、生活していると、時に他人から注意されたりすることもあります。
そのとき愛着障害があると「否定された!」「嫌われた・・」と錯覚しがちになります。
でも実際そんなことはないので、素直に意見を受け入れる気持ちが大切になってきます。
ただし否定の場合はこの限りではないですよ。
受け入れることは相手を尊重していることと同じ。
そこで「うるさいなー」とか「うざい」なんて思ってしまうと、せっかくの対人関係がこじれてしまう可能性が出てくると思います。
ちなみにこの方法、実は浅見さんの引き力の法則にも同じ事が提言されているんです。
自分に起こったちょっとしたことを大げさに捉えて悪く勘ぐっていると、うまくいっているものまでダメになる
(あなたは絶対運がいい!より)
おお!なんと!
愛着障害の克服にもスピリチュアルの概念が関連しているみたいです。
起きたことを受け入れるのは直感にもつながるようです。
まとめると
- あなたの実行したことは全部「いいよ♪」と笑顔で認めましょう
- 注意はあなたを尊重しているから。感謝で受け止めましょう
- 否定や嫌味、傷つける言葉はスルーしちゃいましょう
これだけで、愛着障害からかなり立ち直れます。
まだまだ私も実践半ば。完全に克服には至れていませんが、きっと乗り越えられそうと思っています。
だからあなたも変わることができます!
愛着障害を克服すれば、今よりもっと生きやすくなれるのです。
参考文献
マンガでわかる 愛着障害 自分を知り、幸せになるためのレッスン | 岡田尊司/監修, 松本耳子/漫画, 岡田 尊司, 松本 耳子漫画 |本 | 通販 | Amazon
【愛着障害】1.人は誰しも障害を持っている
今回、岡田尊司さんの「マンガでわかる愛着障害」を読みました。
2日経ちますが、かなり衝撃的かつ、正直言って「未来が開けた」感覚を覚えています。
それほど大きな影響力をもたらす愛着障害の前に、「障害」という言葉について感じたことを。
私が通信制大学の教育学部で受けた実習の一つに介護等体験があります。
これは都道府県によりますが、特別支援学校や福祉施設に数日間研修生として赴任し、実際の福祉の現状などを体験から学ぶ実習授業です。
(これを受けないと教員免許が取れないのです)
実習を受けるにあたり、いわゆるガイダンスの授業があり、ここで印象に残った言葉が、タイトルにある「人は誰しも障害を持っている」でした。
それまで「障害を持っている」というのは、特別な支援を要する人。たとえば四肢といった外的なものや情緒、精神面といった内的なもの。
つまり「障がい者」という括りがなされている人と思っていました。
先生曰く、障害は人間すべてにある。
その言葉を聞いてから、という事はあの人も?この人も?と思うようになりましたし、同時に人を少し穏やかに眺められるようにもなりました。
元々心理学や自己啓発に関する研究(?)は興味本位で本を漁って読んで実践していましたが、殊に今回は大学という高等教育から学んだ知識ですので確固たる信憑性を受けました。
じゃあ自分は?
そう考えたとき、「明らかに振り回されて生きづらい」というのは感じていましたから、障害を持っていると初めて認知しました。
だけどそれがなんなのか?なにが原因なのか?
漠然と感じつつ生活していた中で、今回の本に出会いました。
愛着障害、それはとても身近で、誰しも持ちうる症状なのです。
この機会に、時々愛着障害についてまとめてみたいと思います。
プリキュアが目指す「自分らしさ」と自我同一性
2018年に放送されたHugっとプリキュアは「なりたい自分になる」ことをテーマに取り上げた、一種の異色作でした。
やりたいこと、目指したいことを通じて、自分のあり方とは何か?を1年を通じて視聴者に訴え、内容によってはジェンダーフリーなど現代社会に潜む価値観に一石を投じるものもありました。
さて、そんなプリキュアの根幹は心理学の世界で言う自我同一性です。
自我同一性とはエリクソンが提言したもので、青年期において今の自分や過去の自分、他者から見た自分を意識し、自分のあり方に悩みつつも最終的に「自分は自分で、変わることのない自分」という明確で肯定的な意識が生まれることを意味しています。
(杉山千鶴子著 改訂教育心理学より)
つまり、自我同一性とは、自分らしくあることと言えます。
しかし現代は、この自我同一性の確立が難しくなっているのです。
なぜなら、
- 特に自ら動かなくても自由や豊かさを得ることができている
- 受験以外で乗り越えるべき目標が存在しない、見つからない
- 自分が何をしていけばいいのか分からない
また、社会の一員として参加する意識が乏しいことや、当事者意識を持たず、いつまでも学生気分でいたい心境が、自我同一性の確立を困難にさせている要因と言われています。(うーん、モロ私だ・・)
その結果、
- 人の目が気になる
- 誰かと比較することで自分が確立できている
- ありのままを見せたくない
- 嫌われたくない
一言で言う「生きづらさ」を感じる人が増えているのです。
プリキュアは、そうした社会が作り出す問題点に対して、15年間疑問を呈し続けています。
女の子は女の子らしくあるべき、とは誰が決めたのでしょう。
男の子は男の子らしくあるべき、とは誰が決めたのでしょう。
仲よくなりたいなら真正面から関わり、互いを理解すればいいんです。
あなたがなりたい姿を叶えていっていいのです。
プリキュアはそんなメッセージを小さい子どもたちに伝えながら、今の社会が実現しにくくなった自我同一性の確立を実現できるよう貢献しているように思えます。
従ってプリキュアは、単なる子供向けアニメではなく、人として新たな可能性を模索している作品と言えるのです。
あなたが感じる生きづらさは、自我同一性が不確立だからではないでしょうか。
自我同一性を確立することは、きっと今からでも作り上げることはできると思います。
あなたがあなたらしく生きる勇気。ただそれだけです。
ちょっと自我同一性が不安定な私も、一緒に確立を目指していきたいです。
嫌な人はあなたを成長させるためにある
許すの話には、続きというか一つの出来事があります。今回はその話を。
初めて「許しましょう」という考えに触れたのは、浅見さんではなく別の方の本からでした。
それは今からもう15年ほど前でしょうか。
私は仕事のストレスで体調を崩し、1年ほど仕事から離れていました。
責任感が強すぎて、自分がやらなきゃいけないという追いつめが限界に来てしまったのです。
最終的にその会社は辞めることになるのですが、当時の上司が私にメンタル面の回復にと、ある先生を紹介してくださいました。
その先生は整体もしつつ私のメンタル面の相談にも乗ってくださり、立ち直るためのヒントをいただきました。
そのとき教えていただいた「大丈夫、すべては上手く行っている」のお言葉は今も口ずさむ呪文の一つです。
そんな先生のところにはいろいろな本が置かれており、その中にあった一冊の本がどうしても気になって、いつも立ち読みしていました。
ある程度治療が進んで、私自身そろそろ卒業かな・・と思いつつその日も本を開いて読んでいたら、先生が「そんなに気に入ってるのなら持って行きなさい」と渡してくれました。
「それだけ気になるのなら、今のあなたに必要だということですよ」
穏和な笑顔の先生の言葉に甘えて、私はその本をいただきました。
とても暖かみのあるイラスト、見るたび包まれるようなその本は、当時の私を何度となく癒してくれました。
そして後に浅見さんとの出会いにつながるのです。
この方の「許す」とは、
あなたの周りで嫌なことを言う人や意地悪をする人は、あなたの魂を成長させるために仕方なく行っている。だから有り難く思ってください
というもの。
その考えで振り返ると、怒りで許せなかった人に対して「ああ、私のために、やりたくないけれどそんな立場で接してくれていたんだ」と思えるようになり、心からありがとうと許せるようになりました。
「許す」って本当に難しいかもしれませんが、だからといってその人や物事に対していつまでもしつこく思っているのは執着でもあり、疲れるように思います。
精神の限界を超えてしまったという、私の中では辛い思い出も、先生や一冊の本との出会い、そして引き力の法則といった、思考の柔軟性へと変化できたので、決してそれは無駄なことではなかったのだと思っています。
自分にも、周りの人にも、穏やかな気持ちをどこかに持つだけで、きっと世界は今よりもっと優しくなれると思います。
皆さんの日常が、一日も早く戻りますように・・
高津理絵 幸せが雪崩のごとく起こる本
あなたの笑顔で世界は明るくなる
年を取るから笑わなくなるわけではない。
笑わなくなるから、歳を取るのだ。(ユダヤ教)
Twitterのタイムラインにこんな言葉が流れてきました。
思えばここ数日、面白くなくてちょっとムスーッっとしているなあ、と気づきました。
見ているテレビもつまらない。
Twitterは特に変化もないし、興味関心あるものも少ない。
アーケードゲームのスコアも伸びない。
大好きなプリキュアを見ても、現実に戻ると寂しさで沈んでしまう。
不満がある訳ではないのですが、おそらく先の見えない、未来が見えない状況が、心を閉ざし気味にしているように感じます。
先の言葉から、私はかつての一場面が浮かびました。
まだ精神的に不安定だった頃「暗い顔してるから、ちょっと微笑みながら過ごしてごらん。いいことが舞い降りてくるよ」と誰かから教えてもらいました。
そんなことを思いながら電車で座席に座り、周りの人に分からないくらいちょこっとだけニコっと口角をあげて車窓を眺めていたら、ふさぎ込んでいた心の中の雲がどんどん取り払われていって、世界が輝かしく思えた記憶があります。
特にいいことがあった訳ではないのですが、なぜか未来に希望が持てるような感覚を覚えたように思いました。
笑いは免疫効果を高めると言われています。
大学で学んだ憎っくき英語のテキスト(笑)にも、笑いの効果が紹介されていました。
笑いは大笑いじゃなくてもいいのです。
全てを許すような、大切なものを愛でるような微笑みでも十分なのです。
たとえ今は、感謝できる心境じゃなくても、
たとえ未来が見えなくて暗くふさぎ込んでいたとしても、
ちょっとニコッとすることはできるはずです。
試しに1分だけ、口角を上げて微笑んでみてください。
きっとココロがホワンとあったかくなりますよ。
笑顔、忘れていませんか?
こんな時だからこそ、あなたのその優しい笑顔を、自分にも、周りにも与えてあげてください。
その小さな行動が、あなた自身に、あなたの周りに明るい光をもたらすと思います。
「待つ」ことは何もしていないこと?
これは私自身の大きな課題なのですが、「待つ」ということは本当に難しいとつくづく感じている状況です。
「何もしていないじゃないか」
「自分からやること探しなさい」
子どもの頃から受動的な私は、いつもよくそう言われて怒られていました。
両親は私と違い、忙しく動き回る人でした。そのためか常に動くことが正しい、何もしていないことは悪いことだと、無意識的に思うようになっていました。
だから社会人になり仕事をしていて、何もないときは本当に心苦しくて仕方ありませんでした。
何かを探すにも、見つからない。
周りは忙しくしているのに私は・・
そう思い詰めては、周りの目をものすごく気にしてしまい、この場から早く抜け出したい衝動に駆られるのです。
それは今思うと自らストレスを呼び込んでいたのです。
現在は自粛状態ですし、そもそも仕事の契約は切れていますので自ずと「待ち」状態です。
そうなるとまた「何もしていない」自分を責めがちになってしまうのです。
「何もしていない」は「何もしていない」をしている
常に自分を責めている私に、相方がこう言いました。
この言葉にハッとしました。
何もしていないのではない。何もしていないをしているんだと思えば、決してサボっている訳じゃない。
だから不安に思うこともないじゃないか。
このちょっとした見方を変えることで、一気にココロの不安は消えました。
加えてドリアン助川さんもこのように話していました。
待つという行動は、行うことと同等。
この一言も、大きな影響を与える言葉でした。
待つという姿勢は、行うということと等しく重要。ドリアン助川【ゲーテの名言⑥】 | GOETHE[ゲーテ] |男性月刊誌『GOETHE』発のWebメディア
待っているって、私にとって結構辛いです。
結果が見えず、動くこともできないのですから、忍耐力が試されているように感じます。
私のように常に動き回ることが正しいと思い込んでいる人間としては、待つこと=何もしていない=悪いことと認識しがちです。
しかし動き回ることで逆に状況を悪くさせることもあります。
だからこの機会を利用して、すぐには身につかないかもしれませんが「待つ」ことは決して何もしていないことではない、だから自分を責めたりしなくていいんだと言い聞かせてみようと思います。
天気がいい日もあれば悪い日もあります。
だから天気が悪いように結果が出なかったから自分はダメな人間だ、と悲しむ必要もないのです。
焦って結果を求めてじたばたするよりも、今日はあえて「何もせず」、その場の流れに任せてみるのもいいのではないでしょうか。